2016.11.26
日本で神主さんは、祝詞をあげて神様に呼びかけ、祈願します。
『とおかみえみため』『祓いたまい、清めたまえ…』etc.
神様にお願いするには、その為の言葉があるわけです。
古代インドで神様と交信する言葉がありました。 それがサンスクリット語です。 インド・ヨーロッパ語と呼ばれる言葉の源であり、それは人が考え出した言葉とは本質的に違い、水なら水が発する波動をそのまま耳に聴こえる音に変換したかのようです。
そんなサンスクリット語は、意外に私たちの身近にあります。 アイウエオの順番に整理されたひらがなは、サンスクリット語がベースになっているのは間違いないでしょう。 仏教を通して、たくさんのサンスクリット語の言葉が日本語にも入っています。
シャリはお寿司のご飯のことでもありますが、骨を意味する言葉“シャリーラ”で、仏舎利は仏様のお骨を納めるところでした。 阿吽の呼吸などという、阿吽もサンスクリット語のオームに当てられた漢字です。
そのサンスクリット語ですが、母音に短いのと長いのがあります。 『あ』と『あー』です。 これで意味が変わるので、この差は大事だと思います。 『え』と『お』の音はサンスクリット語では、長い音しかないので、『えー』と『おー』になります。
ですから、ヨガはあり得ない音で、必ずヨーガになってくる、というわけです。
一方、『あ』『い』『う』の母音は、短いのも長いのもあります。 ですから、どちらなのか気になります。 体のポーズは、『アサナ』ではなく、『アーサナ』となります。 ですから、この日記でも、ヨーガ・アーサナと表記しています。
『私は週に2回、ヨーガ習いに行ってます』
これは日常的に耳にする言い回しですが、ヨーガにはあの身体を色々なポーズにする、という意味はないことになります。 ただ単に、結びつくという意味だからです。
ですから、身体を使って色々なアーサナと呼ばれるポーズを取ることを言うのであれば、『ハタ・ヨーガ』を習っている、と言えば安心です。
ハタ・ヨーガは、あの身体を使って色々なポーズを取るものを指す一般名称として使えます。
因みに街角のヨーガ教室の看板などで見かける、アシュタンガヨガ、アイエンガーヨガ、シヴァナンダヨガ、ヴィクラムヨガなどは、流派の名前ということになります。
また、近代ヨーガの父と呼ばれるクリシュナマチャリヤ師は、ご自身がマイソールの宮殿で兵士に教えた力強いヨーガ・アーサナの一連の流れを『ヴィンヤサ・ヨーガ』と呼ばれていたようです。 この“ヴィンヤサ“という言葉に、ヴェーダの儀式を執り行う知識を持ったクリシュナマチャリヤ師の稀有な博覧強記ぶりが伺えます。
インドの寺院でのお祈りをする僧侶は、ヤギャと呼ばれるお祈りで、真言を唱えながら護摩炊きをします。 その際、見ていると真言を唱えながら、体の一部をちょこっと触ったりします。 これがヴィンヤサの語源になっている“ニャンサ“と呼ばれる動作で、唱えている真言に呼応した神様をその体の部位に喚起させています。
ですから、クリシュナマチャリヤ師が『ヴィンヤサ・ヨーガ』という呼称で伝えたかったことは、アーサナを通して体の各部位の神様を次々に呼び覚ますことなんだよ、となります。
さて、そのハタ・ヨーガですが、魂が肉体に囚われの身となっている私たちを、真に解放してくれる手段になりえます。 それはアーサナを通して、あの究極の存在に近づいていく手段となった時に現実になっていくことでしょう。
身体を通して大いなる世界と繋がろうとするのが、ハタ・ヨーガであれば、アーサナをしている時だけ、心地よかったり、解放されるのであれば、勿体なさ過ぎます。 真のハタ・ヨーガは、24時間いつも、その解放された喜びと共にある境地を目指す為のものでしょう。
これはちょうど、恋人同士が町で会っているようなものです。 会っている時の楽しさはあっても、やがてそれは終わり、その日の終電までにはそれぞれの家に帰らなければならないようなものです。 二人の願いは24時間一緒に居たい、ということですから、同棲したり、社会的に認められる結婚へと移行することになります。
そのように、結びつく、という意味のヨーガが、一時の結びつきでなく、永続的なものへと固まる為に、ラージャ・ヨーガがあります。 ヨーガの王道とでも訳すことが出来るでしょうか。
近代ハタ・ヨーガの父がクリシュナマチャリヤ師だとすれば、近代ラージャ・ヨーガの父は、インドでその誕生日1月12日が祝日にもなっているヴィヴェカナンダ師(1863~1902)です。 インドでは国を挙げて、2013年1月12日から4年間を、ヴィヴェカナンダ生誕150周年として祝っています。 当番がちょうどインドに滞在している時に、デリーでその盛大な式典が行われていました。 今のインド首相のモディ氏の若い頃からの、精神的な支柱であったのも、ヴィヴェカナンダ氏の教えであったそうです。
そのヴィヴェカナンダ師は、明治26年にシカゴで行われた世界宗教会議に出席する船旅の途上で、日本に立ち寄り、長崎、大阪、横浜などを訪ねています。
そのヴィヴェカナンダ師は、アーサナを、『身体を使った連続したエクササイズ』と言い、『長く維持できる自分にとって最も楽なアーサナを選ぶべし』、と言っています。 さらに、『ハタ・ヨーガは肉体を使い、身体を強くするものだ』、とも言っています。
そして、『意識の成長の為には、ラージャ・ヨーガが必要になる』と結論づけています。
因みに、ハタの”ハ”は、”ハム”という真言からきていて、”タ”は”タム”という真言から派生しているそうです。 ”ハム”は、生命エネルギーであり太陽に象徴されます。 尾骶骨から右の鼻にかけて繋がります。 一方、”タム”は、心のエネルギーであり月に象徴されています。 こちらは、尾骶骨から左の鼻に繋がっているとされています。 その2つの生命の根本エネルギーを、統合させ、調和させるのが、ハタ・ヨーガということになります。 始めは身体から入るわけですが、その目的はこの2つのエネルギーを融和させることによって、至福の人生を現実のものにするわけです。
15〜16世紀のハタヨーガの経典に『ハタヨーガ・プラディピーカ』というのがあります。 その中で、『シヴァ神から84のアーサナを伝授された。 その中で最も大事なのは、シディ・アーサナ、パードマ・アーサナ、パッドラ・アーサナ、シンハ・アーサナの4つである。 特にシディ・アーサナをマスターすれば、他のアーサナを学ぶ必要があろうか。』と登場します。
最初の2つは、瞑想する時の座位だと思っていただいて構いません。3番目のバッドラ・アーサナは、座位で足の裏を合わせて体に引きつけます。 最後のシンハ・アーサナは、ライオンのポーズと呼ばれる座って舌を思いきり出すものです。
さらにその4章103節には、『全てのハタの練習は、ラージャ・ヨーガを得るために存在する』と書かれています。
ラージャ・ヨーガとは、先ほどのハタ・ヨーガが、陰陽のエネルギーとの融合であったように、宇宙のラージャ、すなわち宇宙の最高のものと結びつく、という究極の至福を達成する為のものでした。
ヴィヴェカナンダ師は、このことを言っているのでしょう。
ラージャ・ヨーガを通じて、最高のものと繋がる人生を送りたいものです。 その入り口の小さな鳥居に、天空庵がなっていければ、本望です。