それってエビデンスありますか?

2018.06.13

CTスキャナーピンポパ〜ンポ〜ン🎶
ある日携帯電話がなり、とってみると救急隊員からの電話でした。
『今ご家族の方を〜〜の病院に搬送中ですので、そちらにすぐ来ていただけますか?』
 

指定された病院の救急室(ER)に行ってみると、家族のメンバーが駅で意識を失い、頭を打って出血云々、という話でした。
 
短時間に頭部MRIや上半身CT画像など色々撮られ、医師から状況説明を受けて、入院しましょう、という展開に。
 
数日後に頭のほうは特に問題なさそうなので、退院しましょう、という医師からの説明を受けます。
そこで、CTの画像で肺に影が見えるので、別の病院の呼吸器内科の受診を勧められます。
 
勧められるままに画像一式を携えて、後日別の病院に行くと、もう少し詳しく見たいので、ということでまた胸部に特化し、造影剤を体に入れてのCT画像検査となりました。
 
診断は、肺のほうは特に命に別状のある状況ではないので様子をみましょう、ということなりました。
一方、肝臓に気になる影があるので、消化器内科を受診するように勧められました。
 
勧められるままに、同じ病院の消化器内科を受診すると、さらに肝臓のMRI画像を撮ってもらわないとよく診断出来ない、ということになり、またその検査となりました。MRI検査

 
その結果は、5年前より肝臓の影は小さくなっており、特に心配はいらないものの、炎症性擬腫瘍という診断名がつきました。
 
さらに、『様子をみたいので2ヶ月後にまたCTスキャンを撮ってください、予約しておきますから』との医師のお話でした。
 
流石にそれは頻度があり過ぎる印象だったので、『被曝とかは気にしないでよいのですか?』と尋ねたところ、それまでは色々な質問に明確に答えていただいていたその医師の方が、その質問にはスルーされるのでした。 なんだかそこには、『要精密検査』が続くアリ地獄でもあるかのような気になってしまいました。
 

この一連の経験から感じたことは、日本の医療保険制度はこのままで大丈夫?、という素朴な疑問でした。
 

老人医療費の自己負担1割。 さらに高額療養費補助制度で月々の負担額に上限、と日本は医療面においては、世界の中でもとても恵まれている国の一つであることは間違いありません。
 

だからこそこのような素晴らしい医療制度が続いて欲しい訳ですが、どうみても無理でしょう!と個人の実感としても感じましたし、マクロで見た数字もそれを十分裏付けているように思います。
 
CT、MRI大国の日本日本がいかに恵まれているか、医療先進国のアメリカと比べてもそれがわかります。
 

先週、米国の友人から電話がありました。
 
共通の友人が目の視界に影を感じるようになったので、眼科にかかったところ網膜の一部が剥がれ始めており、すぐに治療をしないと失明に至る事態だ、という訳です。 
 
ところが彼は健康保険に入っていないので、そのことを病院に伝えたところ、治療を拒否された、というのです。
 

これには少し説明が必要です。
 

超大国の名を欲しいままにしているかの米国ですが、国民の約3割の人は医療保険がありません。 そもそも国民健康保険のような制度がないのです。 ですから、お勤めしている人はそれが企業であれ役所であれ、その組織が購入している、一般の保険会社が提供する医療保険に入ることになります。
 
自営業の人は個人で入るか、職業組合などが提供する保険会社の医療保険に入るしかありません。
 

オバマケアの名称で国民誰でも健康保険を!、という制度がありますが、国が医療保険を提供する制度ではなく、あくまで個人が保険会社の医療保険に入る形です。 ですから、一番安い保険でも月々の保険料は、3万円弱程度です。 そして歯の保険は、これとは別に保険料を払って入らなければなりません。
 

月々3万円ほどの保険料を払っても、免責額と呼ばれるその年にかかる医療費の最初の30万円は全て自己負担で、それを使い切った後に始めて保険会社が7割負担する、といったイメージです。 免責額、自己負担率、最高限度額などをいくらに設定するかで、保険料は様々の額になっていきます。
 
そうすると、月々3万円の健康保険料も生活費の中で捻出できない経済状況の人が、米国民の3割にも及ぶということになります。
 

くだんの友人もレーザーで網膜を固める治療を受けるのに120万円ほどかかるので、電話の目的はそのカンパを求める、ということでした。
友人を取りまく状況を知っているだけに、人助けをしない訳にはいきません。
 

一方、なぜ米国の病院が保険のない人の治療を拒むのか、ということです。
人道的に考えられない!と思われた方は、日本の『優しい医療制度』の恩恵を享受されている方です。

マサチューセッツ総合病院inボストン


 

現代の米国が世界一と言って良いほどの医療先進国であることに、あまり異論はないでしょう。
それでありながら、米国で生活してみると先端医療をどんどん使う、という感じはしません。
 
ましてや、普通の風邪程度では、年間の免責額にかかると、全額自己負担になることもあり、多くの人は医療にかかろうとはしません。 
健康保険は大病した時の為、と言う捉え方です。
 

それは、米国のように民間の保険会社しか実質的に選択肢のないところでは、過剰と思われるCTやMRIの検査をすると保険会社が保険金の支払いを一方的に拒否するからです。 すると患者の全面的な負担になって、患者は払わないという選択肢を行使することが多くなります。 
 

病院からの請求書に対して払わない個人が出てきてしまい、病院は何度か本人に手紙や電話で取立てることになりますが、個人で小切手を振り出す支払いが多い米国では、納得しない患者は払おうとしません。 そういう”取りっぱぐれ”が日常茶飯事なので、病院側でも過剰検査などに自然にブレーキがかかります。
 

米国で人事・総務の仕事をしていた際には、『治療費の健康保険金の払い戻しを保険会社から拒否されたがどうにかしてくれ』、という社員からのクレーム対応を数多く経験しました。 保険会社に連絡すると、その症状に対してこれこれの治療はうちの保険では対象としてカバーしていません、と言われて取り付く島がありません。
 
医院の方でも、治療や検査を選択する際、その患者の保険会社との保険契約がどうなっているかなど、いちいちチェック出来ようはずもありません。 そもそも保険会社だって沢山ある上に、契約ごとに保険カバーの範囲なども違います。
 

それでも高額な治療の前には、医師が保険会社に電話してこれこれの治療をするけど良いですか?という確認が必要になるのが一般的です。 これは入院も同じで、入院する前に症状を説明して保険会社のホットラインに電話しないと、保険でカバーされなくなります。 このように治療等の前に、それが医学的に適性か判断する関門があることになります。
 

日本の国民皆保険制度のように、何が保険でカバーされ何が自由診療が一律に決まっている訳ではないので、こういう事態が起きます。
 

日本の平均在院日数29日、アメリカの平均在院日数6日。 勿論、医学的必要性を考慮しなければならないので、単純比較は出来ませんが、米国の入院期間が短い理由ははっきりしています。 保険会社が医学的に必要と判断した日数以上は、保険金を支払わないからです。 保険会社とて突っ込まれても良いように、その入院期間の基準の設定にはもちろん医師が関与しています。
 

日本では健康保険組合にしろ国保組合にしても、レセプトを見て、これは過剰検査だから支払いしません、などとはまず言いません。
日本の現行の医療制度では、各保険組合のレセプトのチェックでしか実質的に監査機能がないものの、架空の患者名での請求のような明らかな不正や内部告発でもない限り、医学的に必要と言われたら反論出来ません。
 

これが、日本の保険医療の『出来高払い』制度です。 つまり、これこれしました、という請求が基本的にそのまま支払われる、という仕組みです。
 
それ自体何も問題はないのですが、一方でこれは性善説に基づいた制度でもあります。
 

また別の見方をすると、制度の中にブレーキの要素が実質的に何も組み込まれていない仕組みとも言えます。
そういう制度は、暴走する危険があります。 
入院に限って2003年に導入された包括払い方式(DPC制度)がありますが、医療費の抑制には結びついていないと指摘されています。
 

誤解しないでいただきたいたいのは、人に優しい制度に問題があるとは言いませんし、言うつもりもありません。
低い自己負担、それに輪をかけた高額療養費制度は、世界に冠たる”優しい”制度です。
 

一万円札の肖像に登場する福沢諭吉は、日本に保険制度を紹介した人でもあります。 その著書で、『保険とは一人の災難を大勢が分かち、わずかの金を捨てて大難を逃れる制度』と説明しました。
災難に合う人が100人に一人なら成り立つ保険の制度ですが、それが高齢化社会となり100人のうち80人もが”災難”に合う事態では成り立ちません。
 

なぜこんな指摘をしているかと言えば、今の状況はどう見ても『持続可能な医療保険制度』になっているとは思えないからです。
誰もがこんなの続くはずがない、と思いながらも抜本的な解決を『先送り』し続けているのは明白で、今の制度が崩壊して困るのは、患者、医療関係者みんなです。
 
幸せの黄色いハンカチ映画『幸せの黄色いハンカチ』で刑期を終え、出所した主人公を待っていた人がひっそりと暮らしていたのは、北海道の石炭採掘でかつて一世を風靡した夕張炭鉱の鉱夫住宅でした。
 

その夕張市が2007年に財政破綻した際、171床あった市立の夕張市総合病院は閉鎖に追い込まれました。 今や市内には、CTもMRIの画像診断装置も1台もないそうです。 救急病院もなくなってしまい、急患は隣町の病院に運ぶので、搬送時間が30分台から60分以上に伸びてしまったそうです。 それでも夕張市の死亡率に変化はなかったそうです。
 

今、日本国が夕張市にならない保障はないですし、むしろ国の財政状況は、以前にこちらのブログでも書いたように、国全体が破綻前の”夕張市化”していることを示しています。
 
なにしろ実感はないかも知れませんが、日本は『世界で最も深刻な財政状況』の国(国枝繁樹中央大学教授)です。 これは財政破綻に最も近い国とも言えます。
 

細かい話は省略しますが、子供達の世代に今の私達の医療費を付け回している『財政的児童虐待』が進行中です。 具体的には、一つの推計では、日本の将来世代一人当たり6300万円(桁間違えてません)のツケ回しが確実視されています。 (2018/6/12,日経新聞,p31)
 
こちらのブログ
でも書きましたが、今の財政状況の具体的な数字を知ると、さもありなんです。
 

医療の話題で近年よく聞く言葉が、『それはエビデンスがありますか?』です。
 
世の中に一部で『トンデモ系』と称される医療情報が飛びかう事態を憂慮した医学関係者の懸念がそこには感じられます。
 
きちんとした医学的なデータ等の根拠がありますか?ということかと思います。
 

米国の医学界では、この6年ほどの間に”Choosing Wisely“(賢い選択)と呼ばれる、医師・看護師等の医療従事者及び患者に対する啓蒙活動が活発になっています。
 

これは米国医学の専門医の71の学会が、各々の専門分野の検査、治療等で医学的根拠が希薄で無駄、と思えることを5つずつリストして公表する、というものです。 これにより350以上の無駄な検査、治療がリストアップされました。 
 
大変多くの専門学会が参加していることが、こちらのリンクからご覧いただけます。 延々と過剰だったり、無駄だと思われる検査、施術等のリストが続きます。 そのリストを見ると、それって日本では一般的に行われているものが多くて驚きます。
 

日本にも支部が出来たそうですが、全リストは今のところ英文でしか公表されていないようです。 そのリストから100件の『受けたくない医療』を要約してある『無駄な医療』と言う書籍も日本で出版されています。 (日本にもできた支部のホームページはこちら=> ”http://choosingwisely.jp”)
 

これらの具体的な提言は、米国医学の各学会が正式に認定している内容なので、エビデンスがないと言う否定は出来ないかと思います。
 

例えばその100のリストに一つに、『55~74歳のヘビースモーカーでもない限り、肺がんのCT検診はほとんど無意味である』(米国胸部医師学会、米国胸部学会)と言うのがあります。
 

今回、家族が呼吸器内科の受診を進められ、すでに胸部のCT画像があっても、さらにもう一度CT検査を受けることになったものなどこれに該当しそうな気がします。 
 

検診と検査の違い、ということはあるかも知れませんが、医師に必要な検査と言われると拒否出来ないでしょう。 そのCT検査は、放射線科の医師による診断料が7000円強かかり、検査自体で全部で3万円ほどでした。 1割負担で患者の支払いは、約3000円でした。
 
ここで考えておきたいのは、3000円かかった〜、よりも27,000円は誰が払っているのだろう?と言うことです。
そのことに考えが及ぶと医療への考え方に多少の変化が出るかも知れません。 ざっくり言って半分が現役世代の保険料、1/4は税金、1/4は将来の子供の世代からの借金(赤字国債)です。
 

医学専門誌としてビッグ3の一つ『Lancet誌』の中の”Lancet Oncology”という専門誌の2014年11月号(15:1332)に載った”Lung cancer probability in patients with CT-detected pulmonary nodules: a prespecified analysis of data from the NELSON trial of low-dose CT screening”という論文があります。
 

それは、1日15本以上のタバコを25年以上吸い続けた50〜75歳の被験者7000人強で、CT検査で肺に小さな腫瘍が見つかった人が実際にガンになったか、という追跡研究でした。 それによると、約半数の3500人強で小さな腫瘍が見つかったものの、2年間の追跡調査で肺がんと判定されたのは、わずかに14人。 0.4%でした。 これは25年間もチェーンスモーカーで、かつ高齢者の場合でさえです。
 

こういう研究結果からも、素人目にみて、米国胸部医師学会の言う『55~74歳のヘビースモーカーでもない限り、肺がんのCT検診はほとんど無意味である』は、さもありなん、と思えてきます。
 

これはほんの一例に過ぎませんが、前述の日本で出版された米国医学界の『賢い選択』の内容を読むと、日本では一般に行われている検査、治療、投薬などの中に、かなり明確に否定されているケースが多々あります。
それらがどれも『トンデモ』系なではなく、米国専門医学界の公式見解であることを見逃してはならないと思います。
 

医療の問題の根本は、大袈裟なようですが私たち一人一人の死生観です。
つまり、どう生きて、どう後世の世代にバトンタッチしていくのか。
 

昭和36年にスタートして57年経過した素晴らしい日本の医療皆保険制度が、子や孫の代まで維持され、幸せのハンカチが国じゅうにたなびき続ける為にも、我々の世代がその活用の仕方をよく考える時にきているのかも知れません。

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