2016.04.03
中山道が通った木曽地方には、知る限りにおいては日本で唯一、塩を全く使わないで作る”すんき漬け”と言う漬物があります。 最近は、その漬物の中で発見された乳酸菌を使ったヨーグルトが市販されており、東ヨーロッパからの乳酸菌より、漬物の中の乳酸菌のほうが日本人のお腹には合うだろうな、と思って当番の食生活での、マイブームとなっています。
漬物を作るのに塩を全く使わない、という発想は普通ありません。 全国的にもなさそうです。 しかるに山深い木曽の地では、『米は貸しても、塩貸すな』と言われたほどで、要は塩が超貴重品だったので、致し方なく塩を使わない漬物を作らざるを得なかった、というのが真相だったとか。 幸い、寒い気候が塩なしでも雑菌が繁殖しないで済むような条件をもたらしてくれた、ということもあったそうな。
かくも我々の生存に不可欠の塩ではありますが、それがこの4月1日から一気に35%も値上げされたのをご存知でしょうか。 家庭用食卓塩の値上げです。 大正時代だったら、米騒動ならぬ塩騒動になってもおかしくないかもしれない。
確かに食費に占める割合が低いので、あまり話題にもならないのかも知れません。 しかし、この4月1日から25年間一度も値上げされなかった、人気のアイスキャンデーが値上げされた話題は聞かれた方も多いことでしょう。 そう、ディズニーランドの入場料も3年連続で今年は7%値上げ、海外のミュージカルを日本で演じている劇団も10%値上げ、etc…
なんだか、色々なものの価格がじわじわ上がっている感じがしませんか。
それもそのはず、大量のお金が出回るところには出回っているからです。
今から3年前、量的緩和とか流動性を高める、と言った一般の人が聞いてもほとんどイメージが湧かない言葉が、かなり飛び交っていました。
これは平たく言うと、お金をじゃんじゃん印刷します、否、印刷なんて面倒なこともしないで、コンピューターの中の数字にゼロをただ足していく形で増やします、と言うこと。
話が飛ぶようですが、当番が通っていた幼稚園で、お買い物ごっこの日、と言う楽しいイベントが一年に一回だけありました。 それは園内にパン屋さん、八百屋さん、本屋さん、などなど、仮想のお店屋さんをいくつも作って、それを幼稚園が作った仮のお金で買い物ごっこをする、というものでした。
お札のように切り抜いた紙に10円とか100円とか書いてあり、それを幼児一人一人が園長先生からもらって、それで園内のお店で好きなものが買える、と言う園児にとっては、ワクワクのイベントでした。 園児はそのお金を握りしめて、色々な店を回り、自分が欲しいものと所持金とを見比べて、優先順位をつけて買って行くわけです。 これを5歳の子供がするわけです。
グルグルとお店を回った中で、何だったか忘れましたが、これが欲しい、というものがあって、そこで買おうとして自分のお札を数えると、始めにもらった全財産を持ってしても買えない値段だったのです。 すぐに園長先生のところに行って、最初にもらったお金が足りないです、と言ったものの、先生は取り合ってくれず、結局それは買えずじまいでした。
最初にもらったお金を全て使っても買えないものがある、という事態に、それはおかしい、と5歳なりに憤慨したことを今も鮮明に覚えています。
後にこの時のことを振り返ってわかったことは、お金は誰か自由に作ってしまえる人がいる、ということでした。
世の中に出てみて、それが本物のお金においても事実であることを知りました。
自由にお金を作れる。 為政者にとって、その誘惑はとてつもなく大きいです。 税金は下げます、年金や給付金は増額します。 これをやったら大人気。 しかし、この15年間ほどは、その規模が拡大一辺倒。 年収500万円の家庭が、1000万円の支出を20年間も続けられるでしょうか。 それが国の規模で行われるとしたら。。。
そうならないように、お金を発行する権限のある日本銀行は独立しているはずでした。
園長先生が、大判振る舞いだ!、と突然お金をたくさん作ってしまったらどうなるでしょうか。 財政ファイナンス、と言うこれまたイメージの湧かない言葉が登場しますが、園長先生が新しくお金を作ってたくさん物が買えるようにしてしまうことです。 別の言い方をすれば、国の財政赤字をお金を印刷して払ったことにしてしまうことです。
しかし、幼稚園の仮想のお店に並んだ商品が増えているわけではありません。 どうなりますか。 当然、商品の値段はあげても売れるようになりますから、賢いお店担当の園児は値札を変えるでしょう。 5歳の子供にその知恵はなくても、大きな遊園地を経営している人はそうするでしょう。
それが今起こっています。
年金の月々の支給額を千円下げます、と言うと世間は大騒ぎするでしょう。 ところが、お金を打出の小槌で無から作りだすことによって、物の値段が上がり、皆が銀行に預金しているお金の価値が下げられていっても、額面が下がっているわけではないので、国民は誰も文句は言いません。
言葉は悪いかも知れませんが、無知につけ込んだやり方です。 財政ファイナンス、すなわち赤字国債を日本銀行が引き受けることが、禁じ手と言われる所以です。
生活が豊かになるというのは、産み出した富より、使う富を少なくする。 それだけのことです。 10俵のお米を作って、家族で食べる分が7俵であれば、3俵余ります。 その3俵が生活を豊かにする富の源泉です。 無からコンピューター上の数字に加えてお金を作ることは、何の富もそのことからは産みだしてはいません。
政府や政治のせいにしても、このことは何も改善しません。 サービスはもっと欲しい、でも自分の負担は増やしたくない、という意識の集合が今の状況を生み出しているようにも思えます。 ケネディ大統領の就任演説の有名な一節は、『国が皆さんに何をしてくれるかを問うのではなく、皆さんが国に何ができるかを問うて欲しい』、というものでした。
静坐を通して満たされた意識に包まれていく時、受ける側から与える側へと気持ちが自然に変化していくのは、決して珍しいことではありません。
充実感の基盤を自身の内側にもった個人が増えていく時、そこには豊かな社会の基盤が育っていくことでしょう。
©天空庵