2026.03.25
それは10代の終わりのとある夜遅くのことでした。
学生だった自分は、気の合う友達グループに恵まれ、授業が終わってからもそのメンバーと夜遅くまで一緒にいる生活で、家に戻って来るのは夜中過ぎが常態化していた頃でした。
その晩、寝静まった家に戻り自分の部屋に入りましたが、漆喰の闇です。 灯りをつけたくない、このままこの闇の中で佇んでいたい気分の中、自分の目の前に手をかざしたところが、何も見えないほどの真っ暗さでした。
その時、『この闇の中で本質的なことは何だろう』とふと思ったその瞬間、意識の中に100万ボルトのカミナリが落ちたのです。
その『本質的なことは何かと問う意識そのものが我だ』、という言葉にしてしまえばたったそれだけの気づきですが、それは自分の意識の中に巨大な光の柱のように突然現れたのでした。
キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』という映画に登場したあのモノリス(巨石)と呼ばれる巨大な一枚岩が、自分の意識の中に現れたかのようでした。
そして、そこには初めて暗闇から地上に這い出してきたかのような、絶対的な安心感と至福感に包まれている自分がいました。
高校の倫理の授業で習った偉人とその言葉は、その頃は全く心に残らなかったものは、今はその意味がこれだったのか、と突然つながったのでした。
デカルトの『我想うゆえに我なり』とはこのことを言っていたのか、という想い。
『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』という孔子の言葉の意味が初めてわかった想いでした。
偉大な作曲家が音楽として紡ぎ出したかったもの、巨星の画家が描きたかったこと、それらはこのことだったのか、と一人がてんがいきました。
誕生日はこの世に生を受けた時のことですが、自分が生まれたのは今この時だった、という気持ちが湧いて来ました。 生物としての誕生日は母親の胎内から出てきた時であれ、人としての誕生日は今この瞬間だった、と自然に気づいたのでした。
それからと言うもの、ただただ嬉しくて仕方がないのです。 息をしているだけで嬉しい。 何かをしたから喜びに出逢えるというのではなく、ただ居るだでけで嬉しさが込み上げてくるのです。
本を読んで笑ったり、ほっこりしたり、感心したりする必要もなく、ただ目を開けて目の前の景色の中で嬉しさに浸っているだけなのです。
当時は先生もいなかったので、自分に何が起こったのか客観的に知るよしもありませんでした。 ただ、苦しいことではなく、その真逆だったので、そのままの状態で居心地よく嬉しく、それまでと一変した景色の中にいるだけでした。
当然かも知れませんが、色々な変化が起こりました。
例えばそれまでは、どんな本を読むかという自分の判断基準がなかったので、ベストセラーだったり、有名な著者が書いたもの、ということで選ぶしかありませんでした。 ところが、それからは自分でなぜかわかるようになって、書店の本の背表紙を見ていると読むべき本が自分で選べるようになったのです。
身体面での物理的な変化もあったようです。
一つは大きな声が出なくなってしまったことです。 これは物理的というより心理的にそうなったのかも知れませんが、いつの間にか声が小さくなってしまっていました。
これに気付かされたのが、就職活動の時でした。 実はそんな息をしているだけで嬉しくてしょうがない充実の中を生かされていると、就職などに全く気が向かいません。 ところが学校の最終年度に父親が急に亡くなり、母親から『頼むから就職してくれ』を懇願され、それなら石の上にも3年というから、3年間だけ普通のお勤めをしようと考えを変えることになり、リクルートスーツを慌てて求めました。
ある企業の面接では、他の学校からの学生も含めて3名が面接官と質疑応答をしました。 それが終わり、駅までの道すがら、他校の学生から『君、そんな小さな声で喋っていたら、どこにも受からないよ』と言われ、初めて自分がか細い声しか出していなかったことに気づいたのでした。
それよりも、自分の内面の変化が凄まじかったので、外面の変化とかに全く気が向かなかった、といったところでした。
そんな体験からほぼ1年ほど経った頃に、当時の学校の先生から『私の家で瞑想の説明会があるから興味のある人は来なさい』と授業の始めに紹介がありました。
その経験を経ていなければ間違いなく、そのお誘いは100%素通りしていたことでしょう。
結局そのクラスから説明を聞きに行ったのは私だけでした。 そこで講師として来た方はその瞑想を日本で広める為に最初に派遣された外国人の方でした。 その方がやや辿々しい日本語で、『瞑想によって存在と出えます』と言ったその一言が当時の自分の琴線にガツンと触れたのでした。
自分が体験していながら、どう表現したらいいかわからないでいたものが、『存在』と言われて「あ〜それそれ」と思えたのです。 『「存在」と出会う』 ようやく話の通じる同志に出会えた喜びがありました。
何の疑いもなく、習います、と言ったのが昨日のことのようです。 その出会いがそれからの当番の長い瞑想、静坐ライフの始まりとなりました。
振り返って、どうして突然岩戸が開いたような体験が我が身に起きたのか。 考えても、特に修行(ヒマラヤの聖者等の言うサーダナ)的なことは何もしていません。
強いてあげれば、その3年ほど前から受験勉強をほったらかして、ひたすら外国語で物語を暗記することをしていました。 物語そのものがどれも楽しく、かつ登場人物のセリフを全部一人で覚えて言うのが、楽しくてしょうがなかった、と言うことがありました。
それが脳の中の構造変化でも起こしたのか、それは知るよしもありません。
そしてもう一つ、新しい学校に入って出会った同級生の存在があります。 その彼は都内の中高一貫校から2浪して入ってきたので自分より2歳年上でした。
高校時代に早くも、学園紛争の闘士の一人として学校と対峙してきた全共闘世代であり、家に行ってみると日本文学全集や世界文学全集のようなのが、ずらりと並んでそれらを軒並み読んできているような人でした。
のほほんとした高校生時代を過ごしてきた自分には強烈な印象で、毎晩のように遅くまで授業の後につるんでいた仲間の一人でしたが、いつも『彼ならこの状況でどう考えるだろうか』と思う習慣がついていました。
それがあの晩の真っ暗闇の中での、『この闇の中で本質的なことは何だろう』と言う問いが自然に出てくる下地になっていたのは間違いのないことでした。
