瞑想するとどんな良いことがあるのですか? ”断事観三昧”に入ってことを決める

 今から13年前の2011年にネパールを東西1700kmに渡って横断するグレートヒマラヤトレイルという、トレッキングルートが整備されています。 元々あった生活の道を繋げて作られているので、整備の行き届かないところも多いようで、山岳地帯を歩くアッパールートと、丘陵地帯を横断するローワールートの2本があるのだとか。

 2022年にNHKの番組で2人の山岳カメラマンが、このグレートヒマラヤトレイルのアッパー側を歩く番組を連続して放映し、その絶景を目にした方もいらっしゃることと思います。

2024年の4月にNHKで続編が放映されていましたが、ヒマラヤのダウラギリという標高8167メートルの山に向けてトレッキングを続けていました。 その途上にダウラギリの全貌が見渡せる地点で、『チベット旅行記』という本の一節が、出演した山岳カメラマンによって朗読されています。

 そう、その昔125年ほど前に、日本にある漢語訳された仏教の経典の翻訳に疑問を持った僧侶が、サンスクリット語などの原典を求めてチベットに行った僧侶がいました。 仏典の原典に当たる価値に関しては、以前こちらのブログで書いたことがあります。

 その名前に接したのは遡ること50年以上前に、NHKの朝のニュース番組で『今日から登場するこちらの宮本恵美アナウンサーは、河口慧海の親戚となります』と紹介されたのを、なぜか覚えています。 実はアナウンサーの名前は覚えていなかったのですが、『河口慧海の親戚』という部分が鮮明な印象として残っています。

 この宮本恵美さんは、紅白歌合戦の司会をこれまでで最も多く勤め、ふるさとの歌自慢などの番組の司会で活躍した宮田輝というアナウンサーと結婚されていた方です。 

 そのチベットにヒマラヤ山脈を超えて明治時代に到達した僧侶こそ、この河口慧海でした。 宮本恵美さんは、この慧海の弟の娘さんで、姪にあたります。 NHKの番組の中での紹介では、親戚と言っていたのはその通りですが、実は同じ家で一緒に暮らしていたので、もはや家族そのものというレベルでした。

 講談社学術文庫から出版されている河口慧海の『チベット旅行記』では、その河口恵美さんが一緒に暮らした叔父である慧海の日常の生活ぶりを語っているのが、とても興味深いところです。

 その序文の一節には、こんな内容が登場します。

『朝五時と夜九時には、雨の日も、雪の日も、かかすことなく、家の外にかけられた板木を鳴らし

謹んで一切衆生に申上ぐ

生死の問題は至大にして

無常は刹那より速かなり

各々務めてさめ悟れ

謹んで油断怠慢する勿れ

と、うたうように唱えていました。あの声は、いまも想い出されます。  十五歳のときから、精進料理で一生をすごした慧海は、妻帯し、酒、たばこをのみ、生ぐさものを食べる寺の坊さんにあきたらず、僧籍を離れ、自分で在家仏教をおこし、家に在っても、本当の意味の坊さんの戒律を一生守り通しました。』

 前置きが長くなりましたが、『瞑想するとどんな良いことがあるのですか?』という問いに、河口慧海の次のようなエピソードが参考になるかと思います。

 明治時代の終わり頃、外国人の入国をいっさい禁じていたチベットへ蜜入国するには、チベット僧に扮してインド側からヒマラヤ山脈を超えて徒歩で入るしかなかったそうです。

 雪と氷に閉ざされ、一面真っ白なヒマラヤの山中を粗末な衣で歩く日々。 橋もかかっていない川を渡るときに足を取られ、氷のように冷たい濁流に流されたり、九死に一生をえる出来事の連続で、よくぞ生きて帰ってこれた、という旅でした。

 そんな困難が連続する旅の中で最も困ったのが、雪で真っ白な山中でどちらに歩いていったら良いのかわからなくなることだったそうです。  GPSも道標もない中で、動物に襲われるリスクにも遭遇しながら、さてどっちに進んだものか、と途方に暮れる慧海。

 そこで慧海がとった行動が、その場で坐禅を組んで無我の境地に入る、というものでした。 

 するといつの間にか、こちらに向かって進めば良い、という啓示のようなものが降りてきて、迷わずに進むことが出来た、というのです。

 それを慧海は、『断事観三昧』と呼び、『断事観三昧に入ってことを決める』と言っています。

 そう、起きながらにして何も考えない状態になる心のテクニックである『瞑想』を実習した時、期待して座る訳ではないのに、その時に迷っている事柄の選択がスッと降りてくるようなことがあるのです。

 そうやって気づいた選択は、もう迷いがなくなっているだけでなく、それを実行するエネルギーも伴ってくるのです。 

 大自然はいつだって完全調和しています。 私たちも大自然に身を委ねた時、調和の方向にそれこそ自然に向かっていきます。