聖と俗が渾然一体となったイタリアの輝き

2017.03.11

トスカーナ地方

トスカーナ地方

子供の時に好きな所は、と聞かれたら、それは大好きなおじいちゃんやおばあちゃんの家のある所だったりしませんでしたか。
弘法大師が好きであれば、高野山が好きな場所になるようなもの。

今回、イタリアの会社との打合せに行ったところ、会議が予定より早く終了したので、丸々2日間、帰国便までの日数が空いてしまった。

さて、どう過ごしたものか。
イタリアと言えば、真っ先に頭に浮かぶのはアッシジの町。

映画ブラザーサン・シスタームーン

映画ブラザーサン・シスタームーン

13世紀に聖フランシス(1182~1228)の活動したアッシジ。 彼が瞑想した岩の腰掛けで、また瞑想するのも悪くないと思ったものの、地図を見ると遠過ぎる。 そこで、以前から気になっていた中世の町並が残る町として世界遺産にもなっているサン・ジミニャーノとシエナを訪ねることにした。
中世の塔が残るこの小さな村は、聖フランシスの生涯を描いたハリウッド映画『ブラザーサン・シスタームーン』が撮影された村だとか。 それでこの村に引き寄せられたのか、と一人納得。

シエナの中心カンポ広場

シエナの中心カンポ広場

次に近くのやはり中世の城壁の町シエーナの訪ねた。
ここに来てわかったことが、イタリアには国家的聖人が二人いて、一人は聖フランシス。 もう一人が、聖カテリーヌと言う方で、この町出身だった、と言うこと。
この町は、高い塔のそびえるカンポ広場に観光客が集まる。 しかし、訪ねて一番良かったのは、この14世紀の聖カテリーヌの生家にある礼拝堂だった。
観光客も少なく、何とも良い波動に包まれた場所で、自然とベンチに座って眼を閉じてしまいます。

イタリアの町に来て感じるのは、聖と俗の鮮やかな対比です。荘厳な教会の中では、天からの慈悲の愛が語られ、聖なる存在を如何に日々の生活に活かすかが語られます。 しかし、一歩外に踏み出すと、そこは天使の世界など何処にあったのか、と言わんばかりの、俗世間が展開したりします。

マーティン・スコージ監督

マーティン・スコージ監督

最近、遠藤周作の『沈黙』と言う映画が封切られて上映中です。 この映画を監督したのは、『タクシードライバー」などで知られるマーティン・スコージ監督。

ニューヨークはブルックリンの下町で、イタリア移民のコミュニティで生まれ育った監督は、インタビューでこんなことを言っていました。


『自分が育ったブルックリンでは、教会に行くとそこでは、天を仰ぎ、無償の愛が説教されていた。しかし、教会から一歩町に踏み出すと、そこには暴力と如何に人から巻き上げるか、と言う世界が広がっていた。 このギャップが少年の私にはどうしても理解を越えた人間の二面性であり、それが映画と言う媒体を通して生涯向き合うテーマとなった。』

まさにこれは、現代のイタリアの縮図でもあるかも知れません。
当番も以前に、そのブルックリンの近くに住んでいたことがあります。 小さな洗濯屋を開業するのにも、地元のワイズガイと呼ばれるその筋に話を通さないと、ニッチもサッチもいかない怖い所でした。

シエーナの聖カテリーナ

シエナの聖カテリーナ(1347~1380)

このシエーナの町の出身だと言う聖カテリーヌですが、両親の23番目の双子の子供として、出産時に40歳のお母さんから生まれています。お母さんは、15歳位で結婚して、毎年出産しないとこれだけの子供は産めません。さらにその2年後には、妹が生まれているのだとか。
この聖カテリーヌは、子供の頃から聖母マリアやキリストとの遭遇を語ります。 イエス・キリストと結婚し、左手の薬指には見えない指輪をしていたとも。

そして、大人になってからは、断食を度々したと言うのです。 周囲が断食をやり過ぎている、と止めても彼女は辞めようとしなかったとか。

水だけで、食べることを暫く辞めると、空腹を突き抜けたエクスタシーの世界が広がることがあります。 聖カテリーヌにとっては、そのような状態の中で、永遠と繋がる至福を体験していたことでしょう。 そうなると、もう辞められません。

しかし、肉体的には、キリストと同じ33歳で生涯を閉じています。

マーティン・スコージ監督が生涯向き合うテーマとなった、聖と俗の相克。


ステンドグラスに縁取られた、イタリア中世の教会のベンチに座り、いつもの静坐の中に没入する時、光と闇、聖と俗は大いなる存在をどちらから見るかの違いに過ぎない、と思えてくるのでした。

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