座って目を閉じてみたけれど、何が良いのか実感が湧かない?

2016.07.16

落ち着かない静坐

冬でも北極海が氷結しなくなり、将来への不安で落ちついて静坐できない白熊くん

静坐を始めてみたけれど、全く変化が感じられない、という方がおられないでしょうか。  実はそういう方はたくさんいらっしゃいます。  一方で、静坐や瞑想と出会って、ほぼどん底状態だった人生を根本的に変えることが出来た、という方も大勢いらっしゃいます。

その差は一体どこからくるのか?

じっとしても汗をかくような夏の暑い日に、プールに飛び込んで水中をミズスマシのように進むときに、スーッとする気持ちよさが押しよせます。

体の芯まで凍るような冬山を歩いて、やっとの思い出たどり着いた山の宿に待っていたのは、露天風呂の温泉でした。 湯船に身を沈めると、毛細血管の隅々にまで血が巡り、コリ固まっていた全身が溶けていき、至福のひと時を迎えます。

私たちは、落差が大きいと変化に気付きやすいですが、わずかな変化は何も起こっていない、と思ってしまいます。 水浴びをした後にプールに飛び込んでも、感動は薄いかも知れません。 ストーブの前で体がしっかり温まってから、温泉に入っても、凍えた体から入る時のような感激はしないでしょう。

それでは、幾つかのパターンごとに、どんな対処の仕方があるか、これから何回かに分けてみていきます。 今回はまずその第1回目です。

その1:座ってみたけれど、特に気持ちの変化が感じられない

『心ここになかりせば、見ても見えず、聞いても聞こえず』ということがあります。 何かに心がすっかり奪われて、人から話しかけられてもそれに気がつかないような状態。

普段起きて活動している時は、外の世界に注意が向いていることが多いはずです。 それが、座って目を閉じた時に、注意が自然に自分の内側に向かうようになると、それが気持ちの変化として感じられます。

注意が内側に向かうのを妨げるものは、一つは頑張りモードが強過ぎてしまっている時。 別の言い方をすれば、交感神経がオンになってしまっている状態です。 その他には、生のニンニクのすり下ろしたものなど、神経を興奮させるような刺激的なものを食べて未消化のような状態の時です。

そのような時は、座ってあの自分の音との協奏曲を奏でても、心が落ち着いていく方向に少しも変化していかないように感じられます。

このような時の一つの対策は、静坐や瞑想に入る前に呼吸法をしっかり実行することです。 こちらで静坐法を習得した方は、2つの呼吸法のうち特に2つ目のものを必ず5分ほど行うことです。

これによりかなり確実に、『あっ、確かに深く入れて感じがする』という静坐や瞑想になっていきます。

なお、静坐や瞑想を始めてみたけれど、変化が感じられない、として辞めてしまう人も少なくありません。

逆に続いた方の多くは、比較的近くに教室や自主実習会があったので、それにたまに参加できたから、とおっしゃいます。

家で一人でやっていた時には、あまり効果や変化が感じられなかったけれど、グループでやってみたら、違って感じられた、ということが実にたくさんあります。

こちらの会場は、そういう静かに座ってみたら気持ちが落ち着いた、内側から湧いてくる喜びが出てきた。 そんな発見をしていただける機会を提供する場になれたらいいな、と願いながらグループ実習会を開催させてもらっています。

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