聖なる呼吸 ヨーガのルーツに出会う旅

2016.11.26

クリシュナマチャリヤ

100歳のクリシュナマチャリヤ師

“Breath of the Gods” “聖なる呼吸 ヨーガのルーツに出会う旅“

最近日本各地で上映されている映画、『聖なる呼吸 ヨガのルーツに出会う旅』を観ました。

なんだか、“ヨーガのルーツに出会う旅”と言われると、その旅に自分も参加してみたい気にさせる、上手なタイトルでした。

近代ヨーガの父と称され、今日の世界各地での普及のきっかけを作った『クリシュナマチャリヤ師』という指導者(1888~1989年、100歳没)とその直弟子2人(パタビ・ジョイス師とアイアンガー師)と子供達4人にインタビューした内容でした。 川の源流に辿る旅かと思いきや、かなり手前までの旅だった感じではありますが、その代わりヨーガのルーツは何だろう、と改めて問うきっかけになりました。

 

映画の中で直弟子の一人アイアンガー師がインタビューを受けています。
1933年に南インドのマイソールという王国の王様によって開設された、近代ヨーガ発祥の元となった、クリシュナマチャリヤ師のヨーガ研修所を周囲は、どうみていたのですか、という質問でした。

マイソールのヨーガ・シャーラ

マイソールのヨーガ学校,1935年

アイエンガー師が、『いや〜もう周囲からは、アクロバットみたいなことをやってる、怪しい集団だと見られてましたよ。』的な趣旨の答えをしていました。

これには、驚いた方も多くいたのではないでしょうか。 日本でこれだけ各地にヨーガ教室があるのに、80年前とは言え、そのルーツとも言えるインドで周囲から奇異な目で見られたとは、意味不明な感じです。

実は現代のインド国内を回っても、ヨーガ教室のようなものにはまずお目にかかりません。 インドの男性は皆、頭にターバンを巻いている、と私たちが勘違いするように、多くのインドの人はヨーガをやっているに違いない、と思いきや全くさにあらずではあります。
 
呼吸に合わせて身体を動かす、いわゆるハタヨーガは、インドにおいては、ヨーギーやヨーギニーと呼ばれる特定の修行者の修行の手段であって、一般の人がやるものではない感覚です。 日本で言えば、修験道の行者さんの修行を、一般の人があまりやらないようなものでしょうか。
 
ただ、日本や欧米でこれだけ人気があるように、身体を動かすことによって心地よさを体験出来る素晴らしいものですから、一般の私たちが行って悪かろうはずはありません。 良いものは、どしどし取り入れるまでのことです。

モディ首相at国際ヨガデー

2015年の国際ヨガデーでシディアーサナで座るモディ首相

2014年の5月にインドの首相に就任したナレンドラム・モディ氏は、その目のつけどころや実行力に置いて、近代稀にみる国家リーダーです。 今月(2016年11月)に実施した高額紙幣の即時廃止(ディ・マネタイゼーションと呼ばれています)を、電光石火に行うなど、その手腕が遺憾なく発揮された施策の一つです。
 
そのモディ首相は、就任した年の9月に行われた国連総会で、毎年”夏至の6月21日を”国際ヨガの日”にしましょう、と提案して採択されています。 その演説では、『ヨーガは人々の健康と調和をもたらす、古代インドからの貴重な伝統です』、と述べています。 同じ年の11月には、それまで”局”のレベルであった、アーユルヴェーダ医学、ヨーガなどを管轄する役所を“省”に格上げして、大臣を任命しています。 そして、ヨーガを世界遺産へと働きかけを続けています。

 

では、話を元に戻してヨーガと言われているものの源流に意識を向けてみたいと思います。

 

くびきに繋がれた牛ヨーガという言葉は、牛などを2頭横に繋げておく『くびき』を現すサンスクリット語に由来すると言われています。 くびきは、逃げ出さないようにと繋げられると束縛の象徴ですが、一方、大いなる存在と繋がるのであれば、それは真逆の『究極の解放』になります。
 
繋がることがなぜ解放なのか?と思われるかも知れませんが、例えば職場で直属の上司との関係が、どうしても束縛と感じられてストレスになる人が多くいます。 一方、その会社のオーナー社長の信任が得られ、この人と同じ夢を共有しよう、となれば、仕事が少しも束縛の対象とはならないどころか、開放感さえ伴うことでしょう。 かように、繋がる先によって、束縛にも解放にもなります。
 
四国で巡礼のお遍路さんをする人達は、『同行二人』と書かれた法被を着て歩いています。 これはお大師様と『繋がっている』ことが喜びあることを表していますよね。

『あなうれし 行くも帰るも とどまるも われは大師と ふたりずれなり』の境地です。 ここには束縛の心情のかけらもありません。

何と結びつくかによって、桃源郷と苦の娑婆、180度違った世界がそこに現れます。

 

様々なアーサナによるハタ・ヨーガは、自分を解放してくれる、その大いなるものとの繋がりを、自分の身体を使って得ようとするものです。

ヨーガは、魂が肉体に囚われの身となっている私たちを、真に解放してくれる手段になりえるはずです。 それはヨーガを、あの究極の存在に近づいていく手段とした時に現実になっていくことでしょう。
 
欧米では家族や親しい友人と久しぶりに出会った時には、抱擁(ハグ)をして、気持ちを確かめあう姿をよく目にします。 恋人同士であれば、手を繋ぐという行為を通して、お互いの気持ちを通わせます。 身体を通して、その先の愛とか信頼とか肯定的な世界に繋がる喜びを得ているわけです。

アイアンガー師

アイアンガー師

この映画で当番が一番驚いたのは、アイアンガー師がインタビューの中で、自分の師匠であり、実の姉の夫でもあるクリシュナマチャリヤ師について語っている場面でした。
 
『あの方(クリシュナマチャリヤ師)は、私には意地悪だった。開脚のポーズを無理にさせられ、怪我で一年間もアーサナの練習が出来なかったこともあった。』
 
70年前に自分が師から受けた扱いが、今も憤懣やる方ない、とおっしゃっているのでした。 当事者しか分からない事情はあるのでしょうが、齢90歳になろうアイアンガー師ともあろうお方でも、『怨讐の彼方へ』の境地に至られなかったのか、というのが率直な感想でした。

ハタ・ヨーガは、身体への働きかけを通して、心を解放し柔軟にするものではなかったのか、という驚きでした。
 
今年2016年の8月に亡くなったクリシュナマチャリヤ師の次男で、40年間に渡って父親の意志をついだ学校(KYM…クリシュナマチャリヤ・ヨーガ・マンダラム)で教えてきたデシクチャール師は、生前こんな言葉を残しています。
 
『ヨーガの成果と言うのは、ポーズを取れる能力のことではなく、それによって私たちの日常生活や人間関係がより良くなることで示される。』
 
シャンティ=調和の世界が拡がりますように・・・

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