7月のオンライン瞑想会は7/11の満月と7/26の新月の日になります

今月は7月11日の満月と、7月26日の新月の二回になります。 時間はそれぞれ朝の9時半からと夜の8時半からになります。

先月は自然農の福岡正信さんとバックミンスター・フラーそれぞれの人生を根本から変えた覚醒体験をなぞってみました。 

今月もそんな体験を味わってみたいと思います。

新月や満月の日には私たちのストレス解消が特に起こりやすい日になるので、深い真我との結びつきを強めると良いので、これらの日にグループでの瞑想会を企画しています。

参加は無料でこういう瞑想法でなければ駄目、というようなことはありませんので、ご自身の瞑想や坐禅などでご参加ください。

開始3分ほど前から入室いただけます。

以下のリンクよりお気軽にご参加ください。 

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年7月11日 09:30 AM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/87995897889

ミーティング ID: 879 9589 7889

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年7月11日 08:30 PM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/81520857435

ミーティング ID: 815 2085 7435

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年7月26日 09:30 AM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/83553024005

ミーティング ID: 835 5302 4005

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年7月26日 08:30 PM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/86093732473

ミーティング ID: 860 9373 2473

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6月のオンライン瞑想会は6月11日の満月と6月25日の新月になります

今月は6月11日の満月と、6月25日の新月の二回になります。 時間はそれぞれ朝の9時半からと夜の8時半からになります。

今月のミニトークのお題は、新しいローマ法王が誕生したこともあり、歴史上で大いなる覚醒の体験をしたカトリックの方々の体験に至る過程を俯瞰してみたいと思います。

前回はアッシジの聖フランシスの生涯に想いを馳せました。

また、このサイト上のリンクをクリックしても参加できない不具合があるようで、その場合はご連絡ください。 Zoomのリンクを直接お知らせします。

それぞれ一日二回予定され、午前は9時半スタートで、夜は8時半スタートになります。

新月や満月の日には私たちのストレス解消が特に起こりやすい日になるので、深い真我との結びつきを強めると良いので、これらの日にグループでの瞑想会を企画しています。 

参加は無料で、瞑想や静坐の流派のようなこともありませんので、ご自身の方法で以下のリンクからご参加いただけます。 申し込みも不要になっています。

なお、開始時間の3分ほど前から入室していただけます。

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年6月11日 09:30 AM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/81476537178

ミーティング ID: 814 7653 7178

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年6月11日 08:30 PM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/81371809625

ミーティング ID: 813 7180 9625

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年6月25日 09:30 AM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/82576461809

ミーティング ID: 825 7646 1809

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Zoom オンライン瞑想ミーティング

時刻: 2025年6月25日 08:30 PM 大阪、札幌、東京

https://us02web.zoom.us/j/84761096305

ミーティング ID: 847 6109 6305

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12月31日の新月オンライン瞑想会で、瞑想後ガーヤトリマントラを108回唱和して新年を迎えます

今月は新月・満月・新月と3回のオンライン瞑想会となります。 それぞれ一日二回予定し、朝は9時半スタートで、夜は8時半スタートになります。

大晦日の31日が新月に当たりますので、オンライン瞑想会の後、暗闇から私たちを解き放ち、啓発の光へと導く『ガーヤトリ・マントラ』を108回唱和して、新年を迎えたいと思います。

ジョーティッシュ占星術では、12の星座と12の部屋を9つの惑星で観ていきます。 12×9=108です。 また、最も重視される月宿(ナクシャトラ)は27ありますが、その中はさらに4つの部屋(パーダ)に分割されます。 27×4=108です。 108という数字は、宇宙を網羅しているのです。

通常ガーヤトリ・マントラは3回、9回、27回、108回と詠唱されます。 3の倍数なのは、物質界、精神界、天界(ブール、ブワッ、スワハー)の3つの実相全てから闇を取り除くからです。 

当日は画面にガーヤトリマントラの文面を表示しますので、知らない方でも唱和していただけます。  音が大事なので、本来はサンスクリット語の発音記号で表記すべきところですが、便宜的にカタカナで表示します。 単語での区切りでなく、発音する時の流れを重視した表記にしています。 また、抑揚は当番が自分の師匠から習ったものになります。

+++(ガーヤトリ・マントラ:リグヴェーダ=3.62.10)+++

オーム ブール ブワッ スワハー

タットサービトルワー レーニャム

バルゴー デーバッシャ ディーマヒ

ディヨーヨーナ プラチョーダヤート

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12月1日と15日及び31日のオンライン瞑想会は終了しましたので、リンクを消去しました。

アシュタヴァイジャの伝統をご存知ですか?

 今日はアーユルヴェーダの神様と言われるダンヴァンタリの誕生日に当たります。

 そのアーユルヴェーダ医療の医師はヴァイジャと呼ばれますが、そこにアシュタ・ヴァイジャと呼ばれる医師がいることを知ったのは、今から11年前の2013年にガンジス川とヤムナ川が合流するアラハバード(2018年にプラヤーグラージと町の名前が変更されました)にて行われていたクンバメーラの祭典の最中のことでした。

 インド中からグルや修行者が集まり、各地からの巡礼者も含めて数百万人が約1ヶ月間にわたって、2つの川の合流点(これに想像のサラスワティ川を含めて3つの川の合流点)にて、自炊をしながら沐浴を続けます。 

 この期間中でもガンジス川によるカルマの浄化力が最もパワフルになると言われた2013年2月の新月の日には、なんと1日で3000万人もの人が、これらの川の合流地点にて沐浴しています! 

 当番も一緒に同行した現地の人たちに促され、訳のわからないままに、川幅1km以上はあろうかという真ん中まで船で漕ぎ出し、深いかと思いきや、なんと中洲のように足がつく場所に連れられて、教わった作法で沐浴したものでした。

 さて、その祭典の最中にビートルズの師匠として知られるマハリシという方が、数年前にお亡くなりになって荼毘にふされた場所に記念館が建設され、開所式が行われていました。

 その式典の主賓は、当時の北のシャンカラチャリヤで齢90歳のスワミ・スワルーパナンダ・サラスワティという方でした。  この方はグルデブの愛称で知られるシャンカラチャリヤ・ブラーマナンダ・サラスワティ師の直接のお弟子さんの一人でもありました。

 因みにシャンカラチャリヤというのは、8世紀のヴェダンタ哲学の巨匠アディ・シャンカラがその教えを将来世代にまで絶えぬよう、インドの東西南北4ヶ所に設けた教えの殿堂の貫主の立場の人を指します。 北の殿堂の初代はアディ・シャンカラの4大弟子の一人で、ひたすら師匠への献身の念で啓発の光に出会ったトータカ・アチャリヤです。 

 日本では天台宗などで千日回峰行を達成した修行者を阿闍梨(あじゃり)と呼ぶそうですが、その呼び方は、『アチャリヤ』に当てられた漢字を日本の音読みしたものになります。

 そんな大僧正の北のシャンカラチャリヤが主賓とあっては、到着されないことには、式典は始まりません。 我々は日の出の頃に沐浴した後、歩いて式典会場に9時過ぎには到着していました。 それから待つことしばし。 ところが、いつまでたっても主賓は登場なさいません。

 そのうち、突然空が暗くなり大雨が降り出しました。 雨宿りするところもなく、ずぶ濡れになり寒さに震えながらひたすら待ちます。  12時も過ぎました。 周囲に食べ物屋などないので、120人ほどの参加者は朝から何も食べてない人がほとんどで、皆一様に空腹です。 

 それでもいつしか雨も止み、並べられた折りたたみの金属椅子に座っていると、前の列にいた米国からと思しき女性が、隣に座っているインドの人を周囲に『こちらがアシュタヴァイジャの何々さんです』と紹介している声が耳に入ってきたのでした。

 ヴァイジャがアーユルヴェーダの医師のことであるくらいは知ってはいたものの、アシュタ・ヴァイジャって何だ? 聞いたことのない言葉ながら、なぜか耳に残りました。

 そうこうしているうちに主賓のシャンカラチャリヤがついに到着されました! 時計の針は午後3時を回っていました。 

Shankaracharya Saraswati
シャンカラチャリヤ・スワルーパナンダ・サラスワティat アラハバード in 2013

 放送局の中継車のようなマイクロバスからシャンカラチャリヤが降りられる直前には、演壇までの間にサッと赤い絨毯が敷き詰められます。 そしてお付きの弟子が広げる大きな傘の下をゆっくりと、歩いて来られ、厳かに主賓の挨拶が始まったのでした。

 その当時、当番は南インドのハイデラバードという町にあるアーユルヴェーダクリニックに毎年通い、パンチャカルマなる施術を受けるようになって数年が経っていましたが、 意味不明のアシュタ・ヴァイジャなる言葉が頭の片隅に残っていました。 

 そんな折、そのクリニックで出会ったドイツ人の方から耳寄りな情報を得たのでした。 南インドのケララ州に凄いアーユルヴェーダの医師が2人いるよ、というものでした。 

Ashtavaidya Alathiyoor Narayan Nambi
アシュタヴァイジャ・ナンビ

 そこでそのうちのお一人の医師のクリニックに予約することがかない、翌年の2014年に診察を受け、3週間のトリートメントを受けることができました。 その医師は、ドクターナンビ(Ashtavaidya Alathiyoor Narayan Nambi)という方で、その時初めてアシュタヴァイジャでもあることを知ったのでした。

 それがきっかけで、初めてアシュタヴァイジャなる伝統の何たるかの一端が垣間見えてきたのでした。

アシュタヴァイジャの伝統

 アーユルヴェーダの医師は、ヴァイジャ(Vaidya)と呼ばれ、インドでは5年半の医学大学を卒業してBAMS(Bachelor of Ayurvedic Medicine and Surgery)という学位を取得することで、医師としての活動を許されています。 

 そのヴァイジャはインド国内で約18万人もいます。 これはインドの医師全体(ほとんどが西洋医)の2割強に当たります。

 その中でもインド最南端でアラビア海に面したケララ州は、インドの中でも最もアーユルヴェーダが温存され、その伝統が色濃く残っている土地柄と言われています。

 そのようなケララ州で今から270年ほど前に、マルタンダ・ヴァルマ(Marthanda Varma)というマハラジャ(封建時代の大名のような存在)が現れました。 彼の統治していたTravancoreという藩主国(江戸時代の藩のようなもの)には、18の地域がありました。 

 彼はアーユルヴェーダの4大テキストの一つである『アシュタンガ・リダヤム』(8分野・編纂本)をヤシの葉っぱに書き写したコピー本を19部作らせ、1部を手元に置き、残りの18部を各地域の住人の健康を守る役目を与えた18の家族に分け与えました。 

 その18家族こそが、アシュタ・ヴァイジャと呼ばれ、自分の担当地域の人々の健康を守る任務を代々担ってきました。  そのヤシの葉っぱを閉じた写本は、代々家宝として、日々その章句の暗喩が日課となっているそうです。 

 それから270年ほどが経ち、ケララ州に約25,000人いるアーユルヴェーダの医師の中で、現在ではアシュタヴァイジャ家は、最初の18家族が5家族に減ってしまいました。 

 受診させていただけたドクターナンビは、その5家族の一人だった訳です。 因みにアシュタヴァイジャ・ナンビはその翌年の2015年10月21日に鬼籍に入られました。 

Ashtavaidya Mooss
アシュタヴァイジャ・ムースとその息子レビ・ムース医師

 ドクター・ナンビの診察を受けた翌2015年には、ドイツ人が教えてくれたもう一人のドクタームースのところを尋ね、やはり3週間の施術を受けさせていただきました。 

 そうしたところ、そのドクター・ヴィヴェカラン・ムースもアシュタヴァイジャの5家族の一つであることがわかったのでした。 

 さらに、そのドクタームースに息子さんがいるのですが、その方こそ2年前にアラハバードの式典で当番の前の列に座って、『こちらがアシュタヴァイジャの誰それです』と紹介を受けていたドクター・レビ本人その人でした。  

 なお、ケララ州にはアシュタヴァイジャの家族が運営されているアーユルヴェーダ博物館があります。  これまでの数千年に及ぶアーユルヴェーダの歴史を俯瞰した15分の映画に始まり、古代からの施術の様子や、アシュタヴァイジャの伝統の一旦を簡潔に閲覧することができます。

  

 

 

 

 

瞑想するとどんな良いことあるの? ”断事観三昧”に入ってことを決める

 今から13年前の2011年にネパールを東西1700kmに渡って横断するグレートヒマラヤトレイルという、トレッキングルートが整備されています。 元々あった生活の道を繋げて作られているので、整備の行き届かないところも多いようで、山岳地帯を歩くアッパールートと、丘陵地帯を横断するローワールートの2本があるのだとか。

 2022年にNHKの番組で2人の山岳カメラマンが、このグレートヒマラヤトレイルのアッパー側を歩く番組を連続して放映し、その絶景を目にした方もいらっしゃることと思います。

2024年の4月にNHKで続編が放映されていましたが、ヒマラヤのダウラギリという標高8167メートルの山に向けてトレッキングを続けていました。 その途上にダウラギリの全貌が見渡せる地点で、『チベット旅行記』という本の一節が、出演した山岳カメラマンによって朗読されています。

 そう、その昔125年ほど前に、日本にある漢語訳された仏教の経典の翻訳に疑問を持った僧侶が、サンスクリット語などの原典を求めてチベットに行った僧侶がいました。 仏典の原典に当たる価値に関しては、以前こちらのブログで書いたことがあります。

 その名前に接したのは遡ること50年以上前に、NHKの朝のニュース番組で『今日から登場するこちらの宮本恵美アナウンサーは、河口慧海の親戚となります』と紹介されたのを、なぜか覚えています。 実はアナウンサーの名前は覚えていなかったのですが、『河口慧海の親戚』という部分が鮮明な印象として残っています。

 この宮本恵美さんは、紅白歌合戦の司会をこれまでで最も多く勤め、ふるさとの歌自慢などの番組の司会で活躍した宮田輝というアナウンサーと結婚されていた方です。 

 そのチベットにヒマラヤ山脈を超えて明治時代に到達した僧侶こそ、この河口慧海でした。 宮本恵美さんは、この慧海の弟の娘さんで、姪にあたります。 NHKの番組の中での紹介では、親戚と言っていたのはその通りですが、実は同じ家で一緒に暮らしていたので、もはや家族そのものというレベルでした。

 講談社学術文庫から出版されている河口慧海の『チベット旅行記』では、その河口恵美さんが一緒に暮らした叔父である慧海の日常の生活ぶりを語っているのが、とても興味深いところです。

 その序文の一節には、こんな内容が登場します。

『朝五時と夜九時には、雨の日も、雪の日も、かかすことなく、家の外にかけられた板木を鳴らし

謹んで一切衆生に申上ぐ

生死の問題は至大にして

無常は刹那より速かなり

各々務めてさめ悟れ

謹んで油断怠慢する勿れ

と、うたうように唱えていました。あの声は、いまも想い出されます。  十五歳のときから、精進料理で一生をすごした慧海は、妻帯し、酒、たばこをのみ、生ぐさものを食べる寺の坊さんにあきたらず、僧籍を離れ、自分で在家仏教をおこし、家に在っても、本当の意味の坊さんの戒律を一生守り通しました。』

 前置きが長くなりましたが、『瞑想するとどんな良いことがあるのですか?』という問いに、河口慧海の次のようなエピソードが参考になるかと思います。

 明治時代の終わり頃、外国人の入国をいっさい禁じていたチベットへ蜜入国するには、チベット僧に扮してインド側からヒマラヤ山脈を超えて徒歩で入るしかなかったそうです。

 雪と氷に閉ざされ、一面真っ白なヒマラヤの山中を粗末な衣で歩く日々。 橋もかかっていない川を渡るときに足を取られ、氷のように冷たい濁流に流されたり、九死に一生をえる出来事の連続で、よくぞ生きて帰ってこれた、という旅でした。

 そんな困難が連続する旅の中で最も困ったのが、雪で真っ白な山中でどちらに歩いていったら良いのかわからなくなることだったそうです。  GPSも道標もない中で、動物に襲われるリスクにも遭遇しながら、さてどっちに進んだものか、と途方に暮れる慧海。

 そこで慧海がとった行動が、その場で坐禅を組んで無我の境地に入る、というものでした。 

 するといつの間にか、こちらに向かって進めば良い、という啓示のようなものが降りてきて、迷わずに進むことが出来た、というのです。

 それを慧海は、『断事観三昧』と呼び、『断事観三昧に入ってことを決める』と言っています。

 そう、起きながらにして何も考えない状態になる心のテクニックである『瞑想』を実習した時、期待して座る訳ではないのに、その時に迷っている事柄の選択がスッと降りてくるようなことがあるのです。

 そうやって気づいた選択は、もう迷いがなくなっているだけでなく、それを実行するエネルギーも伴ってくるのです。 

 大自然はいつだって完全調和しています。 私たちも大自然に身を委ねた時、調和の方向にそれこそ自然に向かっていきます。 

 

 

 

 

ヴァイジャ・トリグナの健康の教え

 

Dr. Triguna

 インドのアーユルヴェーダの伝統の中で、診断に必ずしも脈診が使われる訳ではありませんが、これまで出会ったヴァイジャ(アーユルヴェーダ医師)の中で、その脈診(Nadi Vaidyam)で傑出されていたと思えたのが、2013年に92歳でお亡くなりになったヴァイジャ・トリグナ先生でした。

 その先生から受けた初めての脈診が衝撃的だったことは、こちらのブログで以前に綴りました。

 トリグナ先生は、デリー市内のクリニックで毎日大行列の患者さんを診られていましたが、当番もその行列に並んだことがあります。 診察は無料で、処方されたお薬を買って帰ることになります。

 その様子を捉えた4分半の映像がYoutubeにありますので、こちらからご覧いただけます。 また、クリニックの場所は、こちらから確認いただけます。

 この先生から直接教えを受けた方は、家族以外では極めて少ないのですが、たまたまそういう方との出会いが数日前にありました。

 そのトリグナ先生が、これだけは実行すると良い、とおっしゃっていたのは、『朝の散歩の際に、口で呼吸するように歩きなさい』ということだったそうです。

 つまりゆったりのんびりと歩くだけでなく、時には坂を早足で登るような歩きを取り入れて、口で呼吸をするほどの荒い息にすると良い、というものです。

 現代の歩き方の指導でも登場しますが、こういう先生からお勧めを受けると是非とも取り入れよう、という気になります。 是非、お試しください。

 

『必要なことしか起こらない』と腹を括れるか

最近の瞑想に関する質疑応答ですが、ご参考になれば幸いです。

質問1)

>瞑想中は、いろいろな想念、考え、心配事などが浮かんできても、マントラに戻り、瞑想中に

>起こることはすべて必要な、良いことと聞いたように思います。

回答1)

そうですね、私たちの側から瞑想に臨む時に何かすることがあるとすれば『無邪気にマントラを想う』だけ、ということになります。 

その『マントラを想う』というのも実は、起きながらにして『考えることも含めて、何もしない』ための手段に過ぎません。

起きているのに自分から何もしない、働きかけない状態を作るというのは、一見すると本能(起きてる時は行動!)とは矛盾している行動なので、ほっておいて私たちが自発的にやることは普通はないと思います。

私たちは縁あって、瞑想という起きているのにわざわざ何も考えない、行動しない状態を体験している訳ですが、そこで起こっているのは、身体という全知全能の大自然に主人になってもらう、ということになります。

身体は元々主人なのですが、私達はえてしてその邪魔をしてしまいがちです。 

悩んだり、心配したりすることもその『邪魔』の一例です。

『この状況に置かれたら誰だって悩むでしょう』ということは実生活で起こるわけですが、たとえ1秒でも1分でもそこから完全に離れて、あの全知全能に全て委ねるのが『瞑想』ということだと思います。

瞑想中に起こるかとは全て必要な良いこと、という意味は、私たちが考えたり、悩んだりすることから離れ、全知全能の側に全てを委ねた時に、自然に生ずる状態のことを言っていると思います。

質問2)

>また、日々規則的に瞑想して、活動していれば、同じように様々な、良い事と思われることや、

>大変な困難な出来事が起きても、やはり瞑想中と同じで、

>瞑想に戻り、必要で良い事が起きていると(一見大変なことに見えても)受け入れることが、良いのでしょうか。

回答2)

起きながらにして何も考えない、何も悩まない状態をたとえ短時間でも体験するのが瞑想と申し上げましたが、その先の世界も当然あります。

それは一見大変なことに見える状態の中でも、蓮の葉に落ちた水滴のように、そのことに煩わされなくなる状態です。

それは『自由な境地』と表現されることもあります。 

自由とはあまりにありふれた表現に聞こえるかも知れませんが、瞑想中のあの無心の状態の中で私たちは体験しています。

ヨーガという言葉は、『繋がる』という意味だそうですが、何と繋がるかが問われているわけです。

一つの答えはあの『自由』と繋がることで得られる『自由な境地』ということだろうと思います。

現実の世界で私たちに起こることは、時にとても大きなインパクトとして言葉でのどんな説得や慰めも吹き飛ばして

しまうように思えるかもしれません。

ここでも私たちの側から出来る最良のことは、自分をそこに挟まないことです。 

その『自分を挟まない』手段は、あの無念無想の時間を一瞬でも二瞬でも体験し、全知全能に委ねることではないでしょうか。

じたばたしてもしなくても、私たちには必要なことしか起こらない訳ですから、心配しても何も変わりません。

であれば、何も考えず何も悩まない、あの瞑想時に体験する僅かかも知れない『何物にも囚われない自由な境地』に全てを委ねてみてはいかがでしょうか。

シロダーラ・マニア向けタッカラダーラ液の作り方

 

 アーユルヴェーダの施術を受けた方の間で、不動の人気No.1はシロダーラではないでしょうか。

 額の第3の目に色々なタイプの液体をタラ〜りと垂らしていく、シロダーラは上手なテクニシャンにやっていただくと、一気に雲上の桃源郷に入京し、意識から無意識への境界を易々と突破し、夢心地の中にとろけていきます。

 使われる液体はオイル系のものが日本ではよく知られていますが、アーユルヴェーダの本場とも言われる南インドのケララ州では、バターミルクをベースにした『タッカラダーラ』と呼ばれるシロダーラが頻繁に処方されます。

 ”タッカラ”とは、バターミルクのことを指しますが、バターなどと言うのでてっきり乳脂肪が多いイメージのですが、実際は真逆で乳脂肪分を取り除いたヨーグルトを指しています。

 お腹が空っぽもしくは、前に取った食事が消化しきった状態で受けますが、タッカラダーラは午前9時以前か、午後3時以降を目安に施術が行われています。 因みにオイルを使ったシロダーラの場合は、午後3時以降の施術がお勧めとなります。

 タッカラダーラは、ピッタを鎮めるとされ、ホルモン分泌のバランスを回復させ、消化を改善し、血流を良くする効果などが期待される施術になります。 

 意識が飛んだ、あの至極の心地良さに漂っているだけで、こういう効果が出るとあれば、毎日受けたい、と思う人が続失しても不思議ではありません。 サウナファンの人たちの言う”ととのう”体験に似ているでしょうか。

 それでは、自分でやってみたい、と言う方の為に、タッカラダーラで使われる液体の準備の仕方の一例を下述したいと思います。

  1. バターミルクベースの液体の準備

 1リットルの牛乳に4倍の水を加え、それに100g.の砕いた”mustha”(『はますげ』はカヤツリグサの一種の根茎を乾燥させたもの)を投入して、1リットルになるまで煮つめます。 それを冷ましてからヨーグルト菌を投入して、一晩置きます。 

 翌朝、それに1リットルのアマラキ・クワタ(Amalaki Kwatha=アムラの煎じ水)を加え、遠心分離器にて脂肪分を分離します。 残ったものを漉して、タッカラダーラに使用します。

2. アムラ煎じ水(アマラキ・クワタ)の作り方

 4リットルの水に200g.の乾燥アマラキ(アムラ)を加え(アマラキの粉末で代用する場合は、240g.)、1.5リットルまで煮詰めます。 このうち1リットルは、タッカラダーラに加えるのに使い、残りの500cc.は施述後に頭部を洗う為の液体としてとっておきます。

 ピッタを鎮めて快適な毎日を過ごされますように。

 

 

 

誰もが社長さんでした

長引くコロナ禍の生活変容で、多くの企業が苦境に立たされ、こう言う状況でこそ、その突破力が試される時代となりました。 その最前線に立つリーダーの方々の苦労たるやいかばかり、と思われます。

経営者には自ら会社を立ち上げた『創業経営者』。日本だと中小企業に多いです。 

企業活動に関わる人に購読者の多い日本経済新聞に『私の履歴書』なる長寿コラムがあります。 そこに登場する方が創業経営者の場合、内容が圧倒的に面白い、と言うのが正直な感想です。


そして、社員から就任した『サラリーマン経営者』。日本の大企業では大半がこのタイプでしょうか。


そして、外部から迎えられた経営者がいます。 米国の企業などは比較的このスタイルが多く、多額の報酬が話題になりますが、そもそもの仕組みが違う(これは後述)にも関わらず、この高額報酬だけ真似ようとする日本企業のサラリーマン経営者も昨今散見するようになりました。 自動車会社の経営者で、億単位の報酬の報告義務を逃れて、挙句の果てに国外逃亡した事件などもありました。


創業経営者は自社株式の大株主として、主要な意思決定を行わざるを得ません。 何から何まで自分でやらざるを得ない訳で、全社の全機能に精通するのは当たり前です。 そして何より日本の銀行の『融資の二重保全』という不動産などの担保をとった上で更に経営者の個人保証も求める、という慣行により、ほぼ会社運営の全リスクを背負っているところが、家族の生活と、時には命まで賭けた真剣勝負とならざるを得ない迫力があります。


一方、サラリーマン経営者は、会社を赤字にしても自分の財産を身ぐるみ剥がされることはなく、マイナスのリスクがゼロと言っていいでしょう。 にも関わらず、日本の大企業などではたまに、あたかもオーナー経営者のように死ぬまで顧問などの肩書きを持って院政を敷いたり、会社の秘書や社用車を使い続ける人も出てきます。

 
サラリーマン経営者は大株主でもマイナー株主でもなく、資本と経営が分離している状態で、経営の意思決定をする専門経営者という位置付けになる訳です。 前社長の経歴の中で直接接点があった社員の中で、必ずしも本業で何らかの実績をあげたことがなくとも、調整型の人が次期社長に指名されることも日本の大企業では多いように見受けられます。


外部から経営者をスカウトすることも日本の大企業でも散見するようになりました。 米国の大企業のCEO職ではそう言うケースは昔から多くあります。 余談ですが、日本の経営者で肩書きに『社長兼CEO』と言うのを目にすることが多いですが、このCEOを付け加えることの意味がいまだによくわかりません。


これは先ほど”仕組みが違う”と述べた点になってきますが、CEOと言う言葉(Chief Executive Officer)を分解すると『取締役会で決まった方針を、責任者(Chiefの部分)として、実行する(Executiveの部分)、執行官(Officerの部分)になります。』 取締役会と言う、CEO(ここでは社長と訳しておきます)にとってのボスが決めた経営方針を、社内外の経営資源を巧みに使って、結果が出る形で実行、実現する役目の人を指す言葉がCEOになりますね。 


日本の大企業の取締役会は、社内の後輩がほぼその構成員なので、社長のボスとしては機能しておらず、実質社長の方針を”聞く会”的な要素があります。 


これが米国の大企業ですと、取締役会のメンバーは大株主達が送り込んだ関係者になってきますので、文字通りCEOのボスになり、生殺与奪の権を握っている訳です。 従って取締役はほとんどが社外の人になります。 社外取締役と言う言葉する存在しません。 なぜなら取締役は、そもそも大株主が経営を監視する為に送り込む社外の人だからです。 


米国の大企業では、執行役であるCEO氏も取締役兼任になっていますが、それは取締役会の決定をその場で聞いて、当事者として指示される為ともいえます。 


そして大株主の関心は、株価を上げてくれて、利益をしっかり上げ、高い配当を出す経営をしてくれることです。 その為に雇ってきたCEO氏には、高い成功報酬を約束する訳です。 CEO氏は経営資源を巧みに使うプロが求められ、その代わり大株主のメンバーにしっかり配当を出せば、CEO氏にもご褒美が出る形になります。 年棒にして億円単位の報酬が話題になりますが、大株主にしてみれば、その何十倍も配当等の形で還元してくれていれば安いものです。

 
この様子をみた日本では、企業のガバナンスを高める為と称して社外取締役を義務付けたりしていますが、大株主が送り込む訳ではないので、社内からあがった取締役メンバーが多数を占める中で、実際はオブザーバー的な役割になってしまいます。 それでもオブザーバーがいる緊張は重要ですが、そうなると実際の経営方針決定は『影の取締役会』に移行して、実際の取締役会はその追認の場となっていきます。


これまでは、経営者の種類の話ですが、一番肝心なのはどう言う種類の人でも良いので、経営資源を巧みに使える人が出てくるかどうか、と言うことになるかと思います。 


この『巧みに使う』と言う部分は先見性であったり、目利き力であったり、情報収集・分析力であったり、担力であったりする訳ですが、そう言う経営者がたくさん出てくることで、日本はもっともっと良い国になっていけるはずです。 


よく政治がよくならないと、と言う話も出ますが、日本は制度上、選挙のある民主主義ですから、政治家を選んでいる国民に最終責任があって、人のせいにはできません。 その政治は、突き詰めれば国民から税金の形で集めた富を『分配』するプロセスです。 更に申せば、今は日銀が引き受ける赤字国債の大量発行という、国民の借金を『分配』するのが政治になっています。


その分配に血眼になる気持ちもわかりますが、その前に富を作らないことには始まらない訳で、その富を作ることに大きく貢献するのは政治や行政よりも、資源を巧みに使うことに長けた経営者ではないでしょうか。


そういう優れた経営者を養成する教育機関としては、米国流のビジネススクールが有名ですし、そこでMBAなる修士学位を取った卒業生達が、外部からスカウトされる経営者に選ばれることも多くなっています。 


そういう基礎教育はもちろん重要ですが、ビジネスの現場をくぐり抜けて得られた教育にはかなわない面はあるかも知れません。 


そしてそれらの教育を実際の判断力に生かせるかどうかは、私たちの意識の開発に他ならないことになります。 優れた経営者の決断の根拠は、自分の頭で考えているようで、実際はその頭の外に飛び出した世界から見えてくるものです。


当番が社会人になりたての頃に関わった企業の社長は、オーナーではないものの創業から関わった方でした。 その方が社長になった時に、何を判断の基準にしたら良いのかと自問自答を繰り返したと言うのです。 そして自分の出した結論は、どうも禅で言うところの無我の境地ではないか、と思ったと言われていたのが強く印象に残っています。


瞑想は起きながらにして何も考えない状態を体験する身近な方法ですから、頭の中を常に断捨離してリセットし、創造性の翼を与えてくれることでしょう。


自分や家族の生活圏の社長でありCEOである私たち一人一人が、自分に与えられた環境を巧みに使ってその生活を紡いでいく時、そこから織り出されていくものは、豊かで暖かいものになっていくはずです。 

瞑想に正しいも正しくないもあるのでしょうか?

今を遡ること30年数年前、埼玉県与野市というところで、1ヶ月ほど寝泊りして奉仕的なお仕事をしていました。 それは瞑想についてもっと学びたい、という当時の願望を実現する為の準備でもありました。

普通の会社勤めの人間が半年間の休職を願い出るのは、日本企業ではそれなりの覚悟が必要です。 断られたら仕事の方を辞める覚悟で申し出ると、すんなりとオッケーが出て拍子抜けしたほどでした。 当時は子供たちが小さかったこともあり、休職ですむならそうしておきたい、という考えがあったことは事実です。

そしていよいよタイ国はバンコクの寺院に寝泊りしての、合宿形式のみっちりした講習が始まりました。 

師匠の話を一言も聞き漏らすまい、と翻訳を通してでない形を希望して一心不乱にノートを取りながら、日課の流れに心地よく身をゆだねていました。

そんな生活が2ヶ月ほど過ぎた頃でしょうか、瞑想に関してなんとも精妙にして、玄妙な説明にバーンと出くわしたのでした。 それは色々な瞑想で使われる真言(サンスクリット語でマントラ)の使い方の説明でした。

そのくだりを聴いた瞬間、自分の中で何かが氷塊し、スコーンと抜けるような気持ちになったの覚えています。 眼から鱗が落ちる、という表現はこのことかと思える瞬間でした。

それと同時に、自分がそれまで10数年間、日々行ってきた瞑想が全く間違っていたことに気づいて、愕然とする想いにとらわれたのでした。 

瞑想は簡単で誰にでも出来ますよ、という説明をマントラのように何度も聞いていたからでしょうか。 瞑想に正しいも正しくないもある、などと言うことは夢想だにしていませんでした。

これまでの月日を返してくれとばかりに、しばし呆然としながらも、フツフツと嬉しさがこみ上げてくるのをどうすることも出来なかったのを、昨日のことのように思い出します。

と同時に、仕事を辞める覚悟で長期休職までして講習を受けようという気持ちに突き動かされていたのは、この気付きの為だったのだ、と俄然ガッテンがいったのでした。 

翻訳を通さずに聴いていたのも功を奏したようです。 なぜなら、あの玄妙な解説のニュアンスは翻訳からは、多分確実に得られなかったと思うからです。

そう、自分の瞑想は全く間違っていたのでした。 よくもまあ、それにも関わらずそれまで10数年も続けてこれたものだと思いましたが、ただただ嬉しい日々があったので、続いていたのだと思いました。

こんなことを書いて、瞑想している人を脅かすつもりは全くありません。 心地よく瞑想が出来ている、座ることが苦もなく続けていられる、という方は全く心配には及びません。 

しかし、自分の場合は明らかに間違った瞑想だったことに気づいてしまったのです。 

では、どう間違っていたのか? 言葉にして記すつもりはありませんが、この気づきの体験が自分の瞑想指導の第2の原動力になっているのは間違いありません。

第1の原動力は10代の後半の自分に突然起こっためくるめく体験でした。 その後に瞑想と出会い、その体験を分かちあいたい、という気持ちは今も変わらず持ち続けています。 

これまでにご縁があって瞑想指導させていただいた方で、もし無理して座っているような感じがあったり、実習しなくなって久しい、というような方がいらっしゃいましたら、このご時世ですからズーム等のテレビ電話システムでご相談にのらせていただきます。 

ワクチン打つのどうしよう? ヴァイジャに聞きました

今回日本でも摂取が始まった新型コロナウイルス対応ワクチンの開発のスピードは、これまでの常識からすると驚異的なスピードでした。

これまで、ワクチン開発は通常10~15年かかり、過去最短とされるおたふくかぜでも実用化には4年かかっているとか。 やはり、治療薬と違いワクチンは健康な人にも接種するため、薬以上に安全性を慎重に見極める必要があることは理解できます。

今回のワクチンがこれまで一般的だった、弱毒化した生ワクチン、もしくは不活化したワクチンとは別のもので驚きました。 

今回のメッセンジャーRNAタイプのワクチンは、新しい手法である遺伝子を使って開発されています。 ウイルスのRNAを人の体内に入れて免疫を獲得しようとする新しいアプローチですが、長期的な人体への影響の見極めをする時間はありませんでした。

その為、摂取による副作用と感染した場合の重症化のリスクを天秤にかけて、摂取に不安と戸惑いを覚える方も少なくないようです。

そこでかかりつけのアーユルヴェーダ 医師(ヴァイジャ)にご意見を伺ってみました。 その医師の摂取をお勧めする方々は次のようなことでした。

  1. 年配の方
  2. カパの過剰による疾患(喘息、糖尿病、肥満等)のある方
  3. ガン等の疾患のある方
  4. 西洋医学のお薬を長期に渡って服用している方
  5. 接客業や介護職等の人との接触の多い職業の方

これはあくまで一ヴァイジャの意見ですので、考察にあたってはかかりつけ医師等にご相談の上、ご自身で判断いただければと思います。

アシュタヴァイジャ謹製コロナ対策ハーブ5点セット

南インドケララ州のアーユルヴェーダ医学の伝統を今に受け継ぐ正統アシュタヴァイジャ、ドクター・ムースが厳選しました、コロナ禍に役立つハーブの5点セットが出来ました。

風邪などの感染症への対策が期待される3つの服用サプリメント。

もう1つはお香のように焚いて空気中の細菌を減らす効果が期待されます。

最後はインド政府・代替医療省(AYUSH)がお勧めする免疫アップのお茶になります。 詳細は一覧表を参照下さい。

免疫を高める為に日々とってもよいものですし、風邪の症状が出てしまった、または濃厚接触が疑われるけどどうしよう、と言った時にすぐにとっていただくこともお勧めです。

これはインドのドクター・ムースから直接個人輸入で購入していただくものになりますが、手続きの代行をこちらで行う形です。 商品もインドから個人宛に直送されます。 到着までの納期は通常2週間程度ですが、通関のクリアー等で遅れることもあります。

表題の写真にあるハーブが5種入り、国際航空貨物の宅急便代が含まれて¥8,900になります。 インドからサプリメント等を個人輸入する際、現品は安価でも、航空輸送費が高価となりますが、今回の送料込みの価格は破格かと思います。

お申込みは、info@kokoronotaiso.com宛に希望キット数、送付先の住所と電話番号、お名前を記載してお申し込み下さい。確認のメールを返信致します。

中身の一覧は以下からご確認いただけます。

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